2015年に国連で採択されたSDGsの波は大きく広がり、環境や資源保護、人権や教育など幅広い領域で世界が同じ目標の下、問題の解決を図ろうとしています。今回ご紹介する百瀬則子さんは、SDGsという言葉が生まれる以前から環境問題等に精力的に取り組まれています。大手スーパーのユニー株式会社で、環境やCSRに取組み、上席執行役員・CSR部長として活躍された後、近年はワタミ株式会社や中部SDGs推進センターにおいて、日本のSDGsを牽引するリーダーの一人として活躍されています。百瀬さんの多彩な活動についてお話をうかがいました。
一般社団法人中部SDGs推進センター
食品リサイクルループを始めたり、レジ袋をやめてみたり、結構暴れたんですよ
現在のSDGsの取り組みにつながるきっかけは、どのようなことだったのでしょうか
1980年に大学を卒業して、愛知県に本社を置くスーパーマーケットのユニー株式会社に入社しました。ユニーでは大卒女子第1号だったので、ものすごくいろいろなことをやりました。最初の店舗配属後本当は商品バイヤーが希望でしたが、経験も浅く知識技術も未熟のまま人事部教育訓練課へ配属されて、社員にレジを教えたり、新入社員教育を任されて、今度は「新しい店づくりのプロジェクトに行きなさい」といわれ、結婚で名古屋に異動させてもらったら、食品本部で商品開発のプロジェクトに配属されたり、店舗の副店長に就いたり、辞令を何枚もいただきました。。そうこうしているうちに、今度は「環境担当の部署をつくるけれどあなた、やる?」といわれて、はいと。それで環境部(後にCSR部)で部長、執行役員になり、結局18年も担当していました。そんな長いこと環境部署で仕事している人はいませんから、業界でももう生き字引ですよね。
そこで環境問題に取り組まれたということですね。
環境への取り組みはスーパー業界でも早い方だったでしょう。ISO14001の登録認証は2003年に取得し、食品リサイクルループは、2007年日本で一番初めに認定され、環境大臣賞をいただきました。自治体と消費者、同業他社と協働で、レジ袋の無料配布を中止してごみを削減したり、、結構先進的なことをいろいろやさせてもらいました。。18年もいると、いろいろなことができましたね。
食品リサイクルループとはどのようなものですか?
スーパーマーケットで一番大きな課題だったのは、食品の廃棄問題だったのです。2001年に食品リサイクル法が施行されてた当時、スーパーも年間8000トンも食品をすてていたのです。。そこで、売れ残った食品を集めて餌や堆肥にして、それを使ってもう一回野菜や豚肉・鶏卵を作って、それを仕入れて販売する仕組み、食品リサイクルループを始めました。これは非常に先進的で、ヨーロッパなどでも食品を排出するスーパーが、リサイクルで作った野菜や肉を仕入れて販売することまではやっていなかった。餌とか堆肥をつくるところで終わっているんです。それを、できた野菜を買い取ってまた売るとか、できた卵を買い取ってお客さんに買ってもらうとか、そういうことは、そういうグルッと回るという、今でいう「サーキュラーエコノミー」みたいな仕組み、それが食品リサイクルループです。
2017年にベルリンであったSDGsの会合に環境省からちょっと行ってしゃべってきてといわれて、「うちのスーパーでは、そうやって残った食材を餌にして、できた卵を売っていますとか、堆肥にしてお米を作ってもらって売っています。」と言ったら、やっぱり驚かれました。「おおっ」みたいな反応でしたね。
「ものづくり」系の愛知で、たくさんの人や組織を巻き込んだSDGsを推進しています
スーパーの環境部でいろいろと取り組まれて、その後は?
ユニーを定年退職した2018年頃は、中部地方ではSDGsが全然進んでいなかったんです。東京は、東京オリンピックはSDGsのオリンピックだと言っているし、大阪は2025年万博はSDGsの万博だと言っているのに。それで、中部地方はSDGsへの認識が未だ少なく、企業の取り組みが遅れているから現在中部SDGs推進センター代表をされている戸成さんとも定年退職するので、2人定年退職だから中部地方でSDGsを広めることやる? ということになり、「本当に何かできればいいね」というレベルで、2月21日に「中部SDGs推進センター」という一般社団法人を立ち上げたんです。退社した2月20日の翌日でした。
副代表理事を務められている中部SDGs推進センターでの活動をうかがえますか。
主には、企業のSDGsセミナーや、商工会議所などの団体、市民向けの啓発活動などを行っています。年間30回くらいになるので、結構忙しくしています。
また、ユニーの時に始めた「リデザインプロジェクト」を、退社で終わってしまうことが残念で、一つの企業から賛同するたくさんの企業団体で活動・運営して、デザインを学ぶ若者たちや障がいを持つ方達の支援を行っています。
愛知県って結構「ものづくり」系でしょ。機械もですが、「布(きれ)」をいっぱいつくっているんです、繊維産業ですね。例えば国産のスーツの生地は、ほとんどが尾州といって愛知県の西北から岐阜県の尾張地方の毛織物なんです。そこで、今まで使われずに捨てられていた布(きれ)の端材をなんとか使えないかなということで、デザイン学校の学生さんたちに、この布(きれ)を使ってテーマを決めて、(例えばマイバッグやエプロンとか。)それでコンテストを開いたんです。それをコンテストだけで、「優勝おめでとう」で終わらないで製品化したいということになりました。
製品化するときに誰に作ってもらうの?といったときに、名古屋周辺の障がい者就労施設で、「ミシンが得意ですとか、裁断が得意です」といった施設がいっぱいあるんです。そこの人に作ってもらおうかといってやり始めたんです。
それで、商工会議所メンバーも含めて、企業や学校とかに一緒に「やりませんか」と募ったんですよ。すると1口5万円の支援金を出してくださるところや、布(きれ)や糸をくださるるところもありました。アパレルメーカーは、テキスタイルの見本を出しましょうとか、型紙をおこすのを指導しましょうとか、いろいろな形で支援してくれたんです。この活動は、今も50団体ぐらいが協力して続けています。
最終的な製品は売り物として販売されているのですか?
製品にして、愛知県内、岐阜県内のスーパーマーケットや生協で販売しています。最近松坂屋では「店頭で売るのはまだちょっと難しいので、社内販売をしましょう」という形で販売していただいています。
売り上げが障がい者施設の収益につながるわけですね。
そうです。寄贈していただいた生地を使って、技術的なものは企業が支援し、運営費は企業が寄付しているので、製作を担当した障がい者施設は作った分の制作費を働いた障がい者に支給できるという形です。ふだん障がい者施設ではシールを貼るだけで0.5円とか、そういう部分的な仕事ばかりだと聞いていますが、このプロジェクトでは自分たちで最初から最後まで関われるとか、途中だけ関わっていても製品化したものが特定できるとか、近所のスーパーマーケットで売っているとか、何かそういうことがすごく励みになると言っていました。